Complete text -- "#373.三上の考"

24 March

#373.三上の考

ふと考えが浮かんだり、もの思いが進んだりするときや場所がある。その最たるときはトイレに入った時だ。することは決まっていて、しかも特別な考えも不要なので考えることに専心できる場所になるのだろう。トイレで考えが浮かぶことは昔から言われていたようで、かわやでの思考なので「厠上の考」と言われているようだ。あの夏目漱石も厠上の考の達人らしく、厠はさながら書斎の様相だったと伝えられている。

トイレと同じように考えの浮かぶ場面として、床に就いたときの枕上と馬の跨った鞍上の2つがあり、厠上と合わせて「三上の考」と言うそうだ。

馬は走らせるなら別だが、普通は跨ったときは暇なので考えが浮かびやすいのだろう。帰り道は年老いた馬に従えという諺があるそうだが、帰り道はナビゲーターも障害物除けもすべて馬にお任せが可能なのだ。現在の生活の中では車に乗る場面が想定されるが、安定したドライビングの状態になったとき、妄想がふと頭をかすめる時があるが早く打ち消さないと危ないことになる。なにしろ車は馬と違って、不便なことに障害物や危険の回避はできないからだ。ここで利用できる車とは運転手つきの車のことなのかも知れない。

夜、寝るときも考えが浮かぶ。これも一日のことが終り、特に体の出番はこれでお終いなので、あとは頭しか動いていない状況になるからだろう。身も心も解放してしまえば良いのだが、こんな時に限って妙な心配事や悔やまれることが浮かんだりすると一大事だ。いつまでも思考の状態を続けることが可能だから、眠れなくなってしまうのだ。

三上の考を上手に使ってみたいのだが、出てくる考え自体がくだらないものばかりで、長トイレになったり、車ではヒヤリとしたり、眠れなくて体調不良になったりするのが関の山で困っているのが現状だ。


11:20:27 | datesui | |
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