Complete text -- "#489.京都へ行ってきました? −洛中・続烏丸線沿線巡り−"

19 November

#489.京都へ行ってきました? −洛中・続烏丸線沿線巡り−

円通寺から国際会館に戻り、また烏丸線に乗る。今出川で降りて相国寺へ行く。今出川通りの狭い歩道が歩けない。授業が終わった同志社の女子中学の生徒で溢れているのだ。相国寺は水上勉の『雁の寺』で有名だが、当然それだけではない。萬年山相国丞天禅寺と言い京都五山第二位の名刹で、境外塔頭には金閣や銀閣がある。創始者である開基は足利義満、初代の住職をさす開山は名僧無窓疎石で、当時の聖俗を代表する二人によって建てられたことになる。五山文化の中心でもあり、画僧の周文や雪舟は相国寺のである。

客寄せ的な法堂の鳴き竜をまずは見て、期待の方丈の庭を見た。無窓疎石の作だが思いの外ゴチャついたイメージで、フォーカスが定まらず不完全燃焼という印象だ。庭とは逆の「琴棋書画の間」の原在中の筆になる襖絵は一見の価値があった。当時の教養を示す4つの事柄を描いたものだが、単なる風景ではなく、家の造りや服飾など風俗の一端が垣間見え、楽しい内容だった。

この相国寺の本命は浴室だ。1400年ごろの創建とのことで、湯を沸かす釜と湯を使う湯船は別室だ。湯は釜のある部屋から樋を通って湯船に注がれる。釜は2基ある。片方の釜から湯を供給している間に、もう一方で水から湯を沸かすということだろう。釜と湯船が一体となった風呂桶が開発されるのは相当後のことらしい。

午後から、六角堂、円通寺、相国寺と廻って来たので、かなり時間も経っている。雨のせいもあってあたりは薄暗くなってきた。相国寺から予定の廬山寺へは歩くしかないので、同志社大学の中を抜け今出川通りを東進して廬山寺へ向かった。かなり急いで歩いたつもりであったが、残念ながら廬山寺は間に合わず閉店であった。源氏物語ミレニアムということもあり、紫式部が源氏物語をしたためたところである廬山寺を見ておきたかったのだが、次への楽しみになった。

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同志社大学のキャンパスを抜けたら、今や日本の英雄、朝原選手の栄誉を称えた横断幕が誇らしげに掛かっていた。いつまで掛けておくのだろうか。右は廬山寺の看板。この看板とミレニアムの相乗効果で参拝者は激増だろう。


22:25:13 | datesui | |
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