Complete text -- "#559.隅田川七福神巡り? −補遺・梅若伝説上−"

19 May

#559.隅田川七福神巡り? −補遺・梅若伝説上−

その東白髭公園の北の一角には水神大橋へ通じる道路が公園の下を通っている。言うなれば幅広の陸橋だが、梅若橋という粋な名前がついている。梅若の名は橋だけではなく、東白髭公園の東側には梅若小学校がある。梅若という名はこの辺りでは特別なことらしい。

梅若は能の『隅田川』の登場人物だ。京都白川の吉田少将惟房の一子、梅若丸をさす。梅若丸は信夫の藤太という人買い商人にかどわかされ、都から遠く離れた奥州へ連れて行かれる途中に病気になり、隅田川に来たころには動けなくなってしまう。人買い商人は梅若丸を置き去りにして行ってしまう。哀れに思った里人が梅若丸を手厚く看病するが、甲斐なく次の辞世の一首を残して僅か12歳の短い一生を閉じる。
  「たずねきて問わば答えよ都鳥すみだの河原の露と消えぬと」
不憫に思った里人は梅若丸の塚を築き、精一杯の供養をする。

一方、母親は狂気となってわが子を探し求め、訪ね訪ね東国まで来て隅田川に至る。渡しの船頭は母親を単なる気違いとして相手にしなかったが、業平の歌の由来などを語るので、態度を改め母親を舟に乗せた。
舟が川の中ほどに差し掛かると対岸から念仏供養の声が聞こえてくる。母親が船頭に声の訳を尋ねると、船頭は梅若丸についての一件を話す。母親はその供養の主が探し訪ねてきた梅若丸であることを知り、さらにその供養が梅若丸の一周忌でもあったのだ。
船頭に梅若丸の塚に案内され、わが子の塚に念仏を泣きながら唱えると、梅若丸の亡霊が現れる。お互いに、母よ、子よ、と呼び合うも、抱こうとすればふわりと逃げ、姿や形は捉えられないまま夜が明け亡霊は消えていくのである。


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梅若塚。東白髭神社にある木母寺の境内にある。右は木母寺。木母寺の由来は、梅の字を木と母に分解したものだ。この界隈は防災拠点に指定されているため、歴史的文化史跡であっても木造の建造物が許可されない。だから、なんとなく殺風景だ。


16:58:01 | datesui | |
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