Complete text -- "#567.2世列伝"

03 June

#567.2世列伝

政界では世襲が問題になっている。よく言うところの2世議員だ。問題になるのは働きが悪いのだろうが、玉石混交というところが実態ではないだろうか。この2世だが、歴史をたどるといろいろな場面にナントカ2世なる人物が登場する。2世議員の2世とは少し意味合いが違うが、どんな人たちがいたのか歴史をひもといてみよう。

最初に登場するのが、ラムセス2世だ。エジプトの第19王朝の王様だ。エジプトは砂漠や海で囲まれていたので安定した歴史が推移した。異民族や外敵との接触は少なく、大きなものはわずかに2回ほどである。1回目は紀元前17世紀、シリア方面からヒクソスが侵入して、1世紀あまり支配されたことだ。2回目はエジプトからの進出で、紀元前15世紀のトトメス3世と前13世紀のラムセス2世が歴史にその名をとどめている。ラムセス2世は北の強国ヒッタイトとシリアの領有を巡って争い、カデシュの戦いが有名である。カデシュは現在の西シリア、ダマスカスとアレッポの中間に位置するホムスの近くである。この戦いは公式の軍事記録の多いことでも有名で、歴史上初の和平文書や間諜の活躍を記述した文書などがあるため、ボードゲームにもなっている。ラムセス2世としては作戦の失敗などがあり、戦力の消耗にもかかわらず結果は芳しくなかったようだ。

お次はネブカドネザル2世だ。新バビロニアの王だが、脇役的な登場だ。モーゼに率いられたヘブライ人はエジプトを出て、パレスチナに戻り王国を建国する。ソロモン王の死後、北のイスラエルと南のユダに分裂して弱体化する。前8世紀にイスラエルはアッシリアのサルゴン2世に征服され住民は強制移住させられた。ユダは前586年に新バビロニアのネブカドネザル2世によって征服され、ユダの住民は遠くバビロニアまで連行されてしまう。前538年にアケメネス朝のキュロス2世によってバビロニアが占領されたとき、帰国が許されたそうである。これが歴史に名高い「バビロンの捕囚」として後世に記憶される事件である。能動的に歴史を動かした側ではなく受動的立場が有名になった珍しい例だが、ユダヤ人の宿命なのかもしれない。という訳で2世が3人も出てきたが、中心人物はネブカドネザル2世となろう。


17:27:08 | datesui | |
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