Complete text -- "#65.ザルツブルク?"

17 May

#65.ザルツブルク?

ミュンヘンからバスでオーストリアに入ったが、パスポートの提示も求められなかった。EUの中は便利で、国境とか入国とかを全く意識しないで済む。オーストリアへ入るとザルツブルクはすぐで、国境に近いところに位置しているらしい。
御一行様の観光はミラベル宮殿からだ。映画サウンド・オブ・ミュージックに出てくる宮殿で、庭の花がとても美しい。宮殿の向うを望むと、小高い山の上にザルツブルク城が聳えている。庭園だけの観光だが、見飽きることがないほど、花も花壇も庭もきれいだった。ふと、みたことのある階段があった。そうだ、サウンド・オブ・ミュージックでのドレミの歌の階段だ。

サウンド・オブ・ミュージックの舞台になったミラバル宮殿。中には入らなかったが、とにかくお庭がきれいだった。


ドレミの歌の階段。右の遠方に聳えるのはザルツブルク城。どこもかしこも絵になる景観だ。


次はお目当ての旧市街へ向かった。その途中、モーツアルトの家があった。生家ではなく、17歳から25歳のころ住んでいた家だそうだ。すると、ここで湯水のように名曲が作られていたわけだ。ザルツァッハ川を渡り歩いていると、今度はカラヤンの家だ。ご丁寧に裏庭には銅像まであるが、なるほどカラヤンだった。
さて、史蹟のかたまり旧市街に入った。まずは、モーツアルトの生家だ。中に入ると階段を登って4階まで上がれる。家族のことなどから、天才が育っていく家庭だか過程だかが分かる。ショップがあったがめぼしいものはなく、ピアノの形をしたクリップをお土産に所望した。
そのあとザルツブルク大司教の館であるレジデンツの周りを歩いて、立派なザルツブルクは狭い市街に不釣合いな大きさで、正面から写真は撮れなかった。ヨーロッパ最古と言われているレストランを見て、ザルツブルク音楽祭などの会場になる祝祭劇場の前に行ったが工事中だった。来年はモーツアルト生誕250年なので、ザルツブルクはどこもかも工事中だ。その中で、御一行様の見物は解散となった。

ザルツァッハ川。この川を越えると旧市街に入る。右はカラヤンの家だが、裏に回るとご丁寧にカラヤンの銅像がある。かえって安っぽくなっている。


モーツアルトが17〜25歳のころ住んでいた家。右は生家。モーツアルト・ミュージアムだ。


モーツアルト生誕250年に合わせて突貫工事か。ここ祝祭劇場も例外ではない。


レジデンツの脇の広場。右はそこにあったヨーロッパ最古のレストラン。あのチャールズ大帝も訪れたそうだが、1000年以上昔のことを誰がウソだと言えるだろうか。



夜は、サウンド・オブ・ミュージックのデナーショウを観た。サウンド・オブ・ミュージックもモーツアルトに並ぶザルツブルクの観光資産で、あちこちでサウンド・オブ・ミュージックなのだ。
電子オルガンとオシャベリだけの前座のミニ・ショウがあったが、多くの国から来ているお客に対して、国名を聞いてはその国の音楽を即興演奏して上手に盛り上げていた。となりのテーブルのヨルダンからきた4人家族、旦那、奥様、2人の息子、揃って極めて上質な美男・美女だった。奥様なんか容姿といい年頃といい、趣味の範囲なのだが、上の息子、13歳ぐらいだろうか、これぞ美少年。タイプは違うだろうが、映画『ベニスに死す』に出てきたビヨルン・アンドルッセンに匹敵するほどだった。ミニ・ショウは終りにラデツキー行進曲なんかをやって拍手をさせ、会場を盛り上げ前座の役目を果たしていた。
真打ちのサウンド・オブ・ミュージックのショウはミュージカルの軽い仕立てで観やすかった。だけど、どこがサウンド・オブ・ミュージックなのかわからなかった。こっちがオリジナルとのことだが、妙なストーリーだった。最後の方で観客が参加するシーンがあって、それまでノリの良い拍手をしてあげていたせいか、一番前に座っていたこともあり舞台へ引っ張り上げられた。でも、上がったからには日本代表、もうひとりのツアー仲間と一生懸命ショウに参加した。脚が痛くなったが、そこは得意の痩せガマンで乗り切った。


06:00:00 | datesui | |
Comments

わさび wrote:

いつも夫婦で拝見しています。いつも素晴らしい写真とコメントに、「いつになったらこういう所に連れて行ってもらえるんだろうね?」と言われております。しばらくは写真とコメントで、想像旅行です(笑)
05/17/06 22:46:19

datesui wrote:

身に余るお言葉で恐縮です。そのうちネタ切れになります。次の予定もありませんので、どうしましょう。
05/18/06 23:16:05
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